ASIAN KUNG-FU GENERATIONの音楽を生で聴けた日に感じたこと
転がる岩、君に朝が降る
できれば世界を僕は塗り替えたい
戦争をなくすような大逸れたことじゃないだけどちょっとそれもあるよな
2023年8月26日のラブシャで、Gotchさんがそう歌い出したとき、とても嬉しかった。
すきな曲を生で聴けたから、という理由ではシンプルすぎる表現だ。
自分が初めて聴いてから、10年以上経って、この目でその姿をみたとき、その「僕」を変わらず掲げてくれたことがとてつもなく嬉しかった。
初めて聴いたのは中学生の頃だっただろうか。
その冒頭の、「僕」のセリフにいつも私はハッとさせられる。
自分ではどうにもならないことは少なくない。むしろ、そんなことばかりなのかもしれない。
子どもの頃に想像していた自分になっているか考えるとそんなことはない。
なんでもそつなくこなせればよいのかもしれない。けれど、不器用な私は、まさに、転がるように、恥ずかしい体験も重ねながら、辛い思いもしながらアザだらけになって、ここまできた気がする。
だが、そんな傷だらけの自分でも、それでもよかったんだと、それだからよかったかもしれないと、途方もないでかい夢でさえ抱いていていいと後押ししてくれるのが私にとってのASIAN KUNG-FU GENERATIONだった。
私はよく残業し、心が擦りきれそうになった。
そんなとき、あえてバスでは帰らず歩きながらヘッドホンをしてアジカンを聴いた。
夜風に運ばれながら、ときにはまるで荒野を歩いているように、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの曲を聴いた。
冷えきった心がジワッと熱くなるような、息を吹き返すような、そんな感覚があった。
例えば、戦争をなくしたいと思ったとして、そう思える体力があること、希望を抱けること自体が、私はまずすごいことだと思う。
世界中の人がそう思えたら戦争がなくなりそうだからだ。
私は戦争をなくすためになにができるのかはわからない。けれどこの気持ちのもとに生まれた、例えばGotchさんのように歌にして表現したり、そんなことはなかなか簡単にはできないのかもしれないけどやりたいよね、と語ることが、ロマンであり、人間らしさなのではないか、と思う。
そのロマンを、あの山中湖で、あの場にいた皆で共有できたように思え、幸せだった。