私はどうしてインターネット上ではなく自分の目で絶景をみたいのか

考えた話

インターネット上のコンテンツはジャンクフードみたいな一面があると私は思う。

人間の怒り、悲しみ、喜び、楽しみといった感情を動かすコンテンツはその刺激が強ければ強いほど拡散されやすく、多くのひとの目にはいるようになるかもしれない。

現在地球上の多くのひとがひとり一台スマートホンのようなデバイスをもってそれにアクセスが可能な状態であるといえる。

バス、電車、待ち合わせ場所、周りのひとが毎秒毎秒スマホの画面をスクロールしているような景色は、20年以上前は考えられなかったが、今では当たり前だろう。

私は、これは便利なことでもあるが、恐ろしいことでもあるような気がするのだ。

それほどの機会をもって、刺激的なコンテンツに浸され続けることは、人間を現実離れした刺激にしか満足することができないインターネット中毒者に変えてしまうのではないだろうかと思うのである。

「自分はどんなにちっぽけなんだろう。」

その道の最上級コンテンツを毎秒毎秒目にする生活は、ときにその刺激が当たり前だと錯覚させたり、他人と自分を比較させたりする事態を招くかもしれない。

だが、一方で私は、一見画面上では華やかにみえるようなひとが自ら命を絶ったり、人の注目を集めることだけを目的にコンテンツがつくられたりするこわさを知ってきたと思う。

都合よく、刺激的に切り取られたコンテンツをみてそれにしか満足できなくなることの恐ろしさを私は感じる。

だからこそ、私は実際に会って話せることや、自分の足でみれる景色を信じたい。

自分にとって重要なことは他人と比較して出てくるようなことじゃないかもしれない、むしろ自分ひとりが大切だと思ったらそれでいいことなのかもしれないと思うのだ。

私がそれをできているかはわからないけれど、この気持ちを忘れたら自分を見失ってしまうことがあるのではないかと思い、整理する意味も込めてすこし真面目に書いてみた…。

以上、また月曜日にお会いしましょう~。