日本の「敬う」がよくわからなくなった話
スポンサーリンク「いってらっしゃいませ。」
お店の開店と同時に声が響く。
お惣菜、ケーキ、お菓子の小売店の隙間をぬって、私は改札に向かう。
「なんか、そこまでしなくてもいいのに…。」
整列してからだの前で手を組み、お腹から声を出してお辞儀する店員さんたちを横目でみながら思った。
電車に揺られながら、思わず日本にはなぜ敬語があるのか、気になって調べてしまう。
敬語の存在意義
(1)「縦社会」における相互の立場が明確になり、社会的および組織的な秩序を保つ働きがある。
(2)相手に対する「敬意」を表す働きがある。
調べた内容を要約するとこんな感じだった。
でも、おそらく、従業員さんたちからしたら、私はどこのだれだかわからないようなぽっと出の人間である。
その人間にたいして、ぶっちゃけ、敬意も尊敬もなくないだろうか。
Win-Winという言葉があるならば、これはLose-Loseだと私は思うのだ。
私からしても、義務的に送られる言葉をもらっても、ぶっちゃけなにも感じないどころか、大変だなあと同情してしまう。
もし、店員さんたちが、「そういう決まり」だからしょうがなくやっている行為なら、精神を消耗するしわざわざやらなくてもいい気がしてしまった。
私も接客に携わったことがあるが、歳上だろうと歳下だろうと、縦方向に上とか下とかなく、
「こんちゃ!用はなんだいっ??」
という気持ちしか正直なかった。
普段道を歩いていてすれ違う他人を敬ったりしないのに、店員になった途端、敬わなくてはならないのってちょっと変。そんなことないだろうか。
スポンサーリンクくっちゃべるジェラート屋
以前ローマでジェラートを買いにいったときに、同じようなフロアを訪れたことがあった。
そのジェラート屋の兄ちゃんは隣のクッキー屋の姉ちゃんとずっとくっちゃべっていた。
私が注文してからジェラートを受けとるまで終始目が合わない。
そういえば、日本語みたいにこってこてに敬語をもつ国ってあんまり思い浮かばない。
もちろん、丁寧な態度はお互い気持ちがいいし必要とされるのは理解できる。
ただ、より、素の自分で、素の言葉を送り合う方が、なんだか嬉しい、楽しいと思う回数が増える気がしないだろうか。
そんなことはないか、敬語があるからこそ、スムーズに事が進んだり、お互い気持ちよく過ごせたりすることもあるのか。こればっかりはわからない。
皆さんは他人を敬う、ということをどう考えているだろうか。
それではまた月曜日にお会いしましょう~。