3分間スピーチ候補タイトル「HERO論」

考えた話

とある機会により3分間スピーチをしなくてはならない。

内容はなんでも良いと言われた。

一番困るやつだ。

そもそも生きていて、3分間を使って人様の前に立ってなにかを説きたいと思うことは正直ない。

(愚痴ばかりである。)

そんな状況の中、ある程度言葉にしておかないと、当日ぶっつけ本番だと、事故って炎上不可避なので記載していく。

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スピーチ候補「HERO論」

私は幼い頃、ヒーローになりたかった。

未曾有の大災害のなか、大切な人を身体を張って守るヒーロー

でもそれは限定的ヒーローであるな、と最近思うようになった。

未曾有の大災害だとか、人類滅亡の危機だとか、そんな状況は絶対起こらない方が良いし、そもそも滅多に起こらない。

そんな状況において輝く自分の姿を思い浮かべるのは少し間違っている。そう思うようになった。

そう思うようになって、ヒーローは日常的ヒーローであるべきだなと思うようになった。

なんでもない日にヒーローになれる、それが真のヒーローなのではないかと思うのだ。

そこで私は気付いた。

私の周りにはヒーローがたくさんいた。

今回は特に許可をいただいていないので名前は出さずにそのとあるヒーローについてお話ししていきたい。

そのヒーローは私に自信をもたせてくれる。

私のことを「○○さんはすごいんですよ。」とおっしゃってくださる。

優しい笑顔で思い遣りをくださる。

私の誕生日があると、とんでもなく素敵なプレゼントをしてくださる。

私は私自身のことをどこかで好きになりたいと思って生きているような気がした。

ヒーローになりたかったのも自分にとって大切な人に喜んでもらえる、感謝してもらえる自分のことを好きになれるのではないかと思ったからかもしれない。

それと同じように、私はそのヒーローの方に、ヒーローご自身のことを好きになっていただきたいと思った。

私はその方の優しさに触れるたびに、私の尊敬するその方に優しくしてもらえる自分のことを好きになれた。

だから私がヒーローになるためには、その人がその人自身のことを好きになれるくらい、感謝の気持ちを忘れずに伝え表現し続けていかなくてはならないのだと思った。

それが私の掲げるヒーローの義務であり、目標になった。

これは仕事の場、友人との場、家族との場、など場所を問わず大切な人に対してできることではないかと思った。

私はこれから、感謝の気持ちを忘れないヒーローになりたい。