哲学好きはなぜ哲学がすきなのか

考えた話

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「生きてるって不思議だと思わないか?」

友人としらふでそんな話になった。

その場にいる人間全員が面白いことに実は「生きている」って不思議だと思っていた。

「私が死んだら、世界は終わっちゃうんじゃないかと思ったことがある。」

「考えすぎるとこわくなる。」

答えのない問いだから、お酒がなくても、夢うつつでみな喋り続けているような感じがした。

確かに自分が死んだら世界が終わってしまわない証拠はない。

でもこうして話していると、なにより、私は他人の存在を信じられるような感じがした。

私は幼い頃、夢を夢とわかってみていたことがある。

ひねくれている私は周りにいるひとに向かって「これって夢ですよね」と話しかけまくった。

無視されたり「ふ~ん」と素っ気ない態度をとられたような記憶がある。

それに対して、みな目をギラギラさせて答えのない問いに対してそれぞれの持論を展開させている。

そんな風景をみて、やはり私は哲学的な話をするのがすきだなと思った。

答えのない問いの前で、人間はみな、平等である。

もし答えがあったら、競いあい、戦争が起きそうじゃないか。

そんなふうに考えているとわからないことに対してさえ美しさを感じる。

そんななかでなにかを信じるということは、そのひとの本質を覗くことでもあるのかもしれない。

この人生ゲームの厄介で面白いところは自分の信じたことがその人間にとっての事実になり、疑ったことが嘘になってしまうところかもしれない。

盲目的に信じてしまえば嘘に気付かないし、疑心暗鬼になれば隔たりが生まれてしまうだろう。

「間違っていてもいい、騙されるならしょうがねえ、どのみちその選択が自分の生き方として誇らしいからそれでいいんだ」

信じることとはそう思うことなのかもしれない。

友人の勧めでハマっているアニメ「ソードアートオンライン」にて、命懸けでヒロインを助けにいく主人公をみてもそう感じた。

私のすきな曲にこんな歌詞がある。

君が生きてる今がこの瞬間が「嘘です夢ですほんとは君死んでます」って言われたそんなときも笑えるようこんな幸せやっぱり夢だったかぁって

ヒキコモリロリン / RADWIMPS

わからないことだらけのなか、皆さんが信じたいと思うことはあるだろうか?

それではまた来週お会いしましょう〜。